1970年代に日本の鉄道、その当時は国鉄。それにコツコツと乗りつぶしているおじさんがいました。本号はそのおじさんが乗った足取りを追いかけた検証録です。なお、九州内のケーザイ活動をリサーチするローカライズド(LCD)としては、その検証録は九州内にとどめています。あしからず。
宮脇氏を追う
九州編
時刻表2万キロ第3章より
趣旨については:宮脇氏を追う 2万キロ@九州#イントロダクション
表は2万キロに登場する駅たち
数字は時刻 斜体字は推定時刻 「-」は通過駅
##宮脇氏、伊万里駅から有田駅に向かう 。
■ 2万キロ#3章
宮脇氏は宮脇氏はなんなく有田駅に到着し、次の乗線区に向かう。有田駅は焼き物で知られた有田焼のマチにある駅である。
2万キロには、改札口に有田焼の皿などがディスプレイされてあることが書かれている。
有田焼といえば、 柿右衛門 現在も有田駅には同じ皿でないと思われるが、なんらかの有田焼がマチの紹介とともにディスプレイされている。
【 有田駅#現 】
■ 2万キロ#3章
2万キロには駅のホームからでは柿右衛門の面影はしのべないとある。
たしかに有田駅のそばには柿右衛門の窯はない。
宮脇氏乗線時は13代の柿右衛門が現役のときでもあり、人間国宝となったのは13代の息子14代である。
〓 松浦線完乗@時刻不明、有田駅に到着にて
別日に終点駅:佐世保駅から途中駅:伊万里駅までを乗線しており、本日はその未乗線区間である伊万里駅から起点駅:有田駅の乗線であった。
松浦線:3セク転換
【読み:まつうらせん】
転換時期:1988年4月1日
起点:有田駅
終点:佐世保駅
駅数:57
##宮脇氏、次の未乗線区乗線のため移動。有田駅から早岐駅へ。
■ 2万キロ#3章
有田駅から早岐駅に向かう途中に三河内焼という焼き物の産地があり、三河内駅という駅がある。
さほど有名でないのか、それとも乗線に徹しているのか2万キロには登場しない。
宮脇氏がさほど焼き物に興味のないことも登場しない理由と思われる。 この区間は佐世保線であり、完乗済でもあり2万キロの章のタイトルにもない。
宮脇氏は有田駅を出た後、16分後に早岐駅に着く。
##宮脇氏、有田駅から出発し早岐駅に到着。
■ 2万キロ#3章
大村線乗線のスタートは起点駅の早岐駅から。戦前生まれの宮脇氏には早岐駅に強い思い入れがあるようで、2万キロでは復員列車について書いている。
当時は東京駅―早岐駅間の列車があったようで二晩かけて運行していた。
##宮脇氏、早岐駅から諫早駅へ。
S:早岐駅
G:諫早駅
■ 2万キロ#3章
宮脇氏乗線時の1975年(S50)は国内にはセブンイレブンが営業しはじめた時分であり、国内各地には店舗はまだそれほどなかった。
その分、地方には地方の味や風情があったと思われる。
しかし新幹線は九州の福岡まで開通し、徐々にローカリティが失われるはじまりでもあった。宮脇氏は2万キロで、
旅先はすっかり地方色がうすれてしまった。
と書いている。当時でそうなら、2020年の現在ではさらに薄れていると思われる。
■ 2万キロ#3章
早岐駅を出ると湾に出る。2万キロでは西海橋が登場する。2020年の現在も西海橋は現存する。
鉄道から西海橋が見えるようであれば、大村湾が見えるところを走っていると思われる。
現在であるならば早岐駅側から南へ下ると、西海橋が見える前に九州のテーマパーク:ハウステンボスが見える。 2万キロ乗線時はここにテーマパークの計画もなく、造成地のような土地が広がっていた。
■ 2万キロ#3章
大村線は大村湾の海べりを走ることもあって、鉄道ファンの間でも絶景路線の一つにあげられる。
しかし、宮脇氏はそんな車窓からの景色に目もくれず、大村線の乗線をそっけなくすませている。
湾のわりには漁船の規模が大きいようであると、2万キロはその程度の記述である。
問題なく終点駅の諫早駅に到着する。宮脇氏乗線時は、早岐駅-諫早駅間は72分で運行しており、2020年の現在、快速シーサイドライナーの運行により60分程度となり、少々早まっている。
【 諫早駅#現 】
【 大村線の完乗 】
早岐駅 | 10:30 | 発 |
大村駅 | - | |
諫早駅 | 11:42 | 着 |
〓 大村線完乗@11:42
起点駅の早岐駅から乗車し、終点駅の諫早駅にて下車。
大村線:現役
【読み:おおむらせん】
起点:早岐駅
終点:諫早駅
駅数:11
##宮脇氏、次の未線区乗線のため移動。諫早駅からバスやフェリーを乗り継ぎ、三角駅へ。
【 未線区への移動 】
バス停:諫早駅前 | 12:00 | 発 |
バス停:島原外港 | - | 着 |
港:島原外港 | 14:50 | 発 |
港:三角港 | 15:50 | 着 |
■ 2万キロ#3章
このほどの九州エリアの乗線では、諫早駅到着後、長崎に向かって長崎本線への乗線、あるいは熊本に向かって三角線への乗線を計画の段階で決めかねていたことが2万キロの文中からうかがえる。
諫早駅に降り立っている状況を考えると、長崎本線への乗線のため長崎に向かうのが効率的だが、宮脇氏は三角線への乗線を選ぶことになった。
三角線乗線の出発駅:三角駅は三角港が最寄港である。そのためには海を渡らなければならない。
【 諫早駅から三角駅へ 】
■ 2万キロ#3章
諫早駅の駅前には、三角港へ渡るフェリーへ乗線するのにちょうどよいバスが待っている。
もう一つタイミングよく、諫早駅のプラットホームに長崎行きの特急が入ってきた。これを逃しても次発は4分後に来る。
どちらでもタイミングはいい。タイミングの良さでは鉄道で長崎を目指すほうに軍配が上がる。
■ 2万キロ#3章
しかし、良すぎたためかそれを見逃し、三角線の乗線を目指すことになった。見逃した状況を2万キロでは以下のように書いている。
第一球目は相当な好球でも見逃しがち
宮脇氏の優柔不断さもあるが、あえて効率を求めない理由を選んだようでもある。
ちなみに野球のたとえはわりと宮脇氏の著作では見受けられる。
■ 2万キロ#3章
2020年の現在も当時も諫早駅から私鉄である島原鉄道が島原外港に向かって出ている。なお、当時は島原外港といっていたが、今は島原港となっている。
宮脇氏は島原からフェリーで天草に渡って三角線へ乗線する計画である。
2万キロの乗線は国鉄のため、私鉄の乗線の記載はない。宮脇氏が私鉄を軽視しているわけではなく
時刻表の愛読者
であることが、その理由とこの文中からわかる。
国鉄の規模の大きさゆえにダイヤの複雑さが宮脇氏の興味のもっともわくところであり、全線完乗へのモチベーションにもなっているようだ。
■ 2万キロ#3章
だからというわけではないが、諫早駅から島原鉄道に乗らず、バスで雲仙へ下り、地獄見物し、島原に向かい、同地からフェリーで三角港へ向かうことになった。
島原鉄道はながらく自社単独の私鉄であったが、2018年1月より地元資本の長崎自動車グループの傘下に入り、経営再建を目指している。
経営再建にあたって、地元の金融機関などは同社の債権を放棄した。
■ 2万キロ#3章
宮脇氏は島原外港から三角港までフェリーで渡っているが、この航路はとうの昔に廃止となっている。
宮脇氏がフェリーで渡った当日は快晴だったようで、船上からのながめも良かったと思われる。
宮脇氏が目にしたかどうは2万キロには書かれていないが、噴火する前の普賢岳を見たかもしれない。
【 三角線 】
S:宇土駅
G:三角駅
##宮脇氏、三角駅から宇土駅を通過し熊本駅へ。
■ 2万キロ#3章
三角駅から宇土駅までが三角線の線区であり、さらに先の熊本駅まで乗り入れる。当時も現在も同じで、この線区は三角駅―熊本駅のような感がある。
三角駅の出発は16:35だったこともあって、沿線の地元名物の海産物屋は閉まっているとある。
少々店じまいに早い気がするが年末であることを考えると、そうかもしれない。
2万キロでは直売所のカンバンはところどころに立っていることが書かれているが、現在は景観への配慮か見られない。
【 三角駅#現 】
■ 2万キロ#3章
三角線は線区が短いのと夕暮れ時もあって、2万キロの記載はそっけない。
変化のない山中を走るうえに、海が見える場所に来たらこの時間だとあたりは真っ暗と思われるから、書くこともないのであろう。
12/28九州第1日目の乗線は、三角線で終了する。
宮脇氏は明日の乗線のため、宇土駅を通過して熊本駅まで行き、同駅から西鹿児島駅へ向かう。 当時はまだ九州新幹線はなく、鹿児島の拠点駅は鹿児島中央駅でなく、西鹿児島駅といっていた。
〓 三角線完乗@17:17宇土駅通過にて
三角線:現役
【読み:みすみせん】
起点:宇土駅
終点:三角駅
駅数:9
同駅通過後、熊本駅まで向かう。
##宮脇氏、宇土駅通過後、翌日の未線区乗線のため熊本駅まで乗車。その後同駅から西鹿児島駅へ向かう。
【 三角線の完乗 】
三角駅 | 16:35 | 発 |
宇土駅 | 17:17 | 着 |
■ 2万キロ#3章
現在、宮脇氏が乗ったように1日で、博多駅に朝6時30分に降り立ち、①唐津線、②松浦線、③大村線、④三角線と乗線できるか?というとできはする。 ただし、大村線から三角線の移動を宮脇氏と同じルートでは行けはしない。
【 熊本駅#現 】
■ 2万キロ#3章
熊本駅から西鹿児島駅までは特急で移動している。
宮脇氏は帰省客による混雑を予想しており、食堂車に乗車するつもりなのか、それをうかがわせる記述が2万キロにある。
しかし、2万キロではそうしたかはどうかはわからない。
【 未線区への移動 】
宇土駅 | ― | 発 |
熊本駅 | ― | 着 |
熊本駅 | 17:56 | 発 |
西鹿児島駅 | 22:00 | 着 |
■ 2万キロ#3章
宮脇氏は西鹿児島駅に到着し、駅から2,3分のところにあるビジネスホテルに投宿する。駅到着は夜の10時前である。現在も旧西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)あたりはビジネスホテルだらけであり、寝るところに困りはしない。
この時、宮脇氏は中央公論社の取締役であるも、お値段の安いと思われるビジネスホテルに泊まっている。
むかし:西鹿児島駅
い ま:鹿児島中央駅
■ 2万キロ#3章
九州2日目となる明日の朝は早い。朝の5時15分出発の列車に乗る予定である。そのため早めに寝ようとするが、なかなか寝つけない。
■ 2万キロ#3章
国鉄全線完乗も乗りつぶしてくると、未線区は少なくなり、その日の朝の気分で「選ぶ」ということはできなくなる。
さっさと寝て明日に備えなければというプレッシャーもあってかウイスキーの小瓶が登場する。
寝過ごすことなく翌朝はきちんと予定通りの発車する便に乗れはするが、早く起きすぎたため寝過ごさなかっただけのことである。
1975年(S50)
12/29(月)
九州2日目
指宿枕崎線
宮之城線
■ 2万キロ#3章
宮脇氏乗線時は西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)からのスタート。枕崎駅まで向かう宮脇氏の出発時刻は5:15、現在では4:51に出発する便がもっとも早い。
##宮脇氏、西鹿児島駅から枕崎駅へ。
S:西鹿児島駅
G:枕崎駅
*現在は西鹿児島駅は鹿児島中央駅
■ 2万キロ#3章
宮脇氏の乗った便は特急ではなく普通と思われるが、グリーン車に乗っている。
2万キロでも書かれているが、古くなったグリーン車両の再利用というか“お下がり”という事情だ。
こういった事情は2万キロでも ローカル線ではよく見かける。
と、書かれている。当時もそうであったが、現在のJR九州でもそれはみられる。九州はお古車両の宝庫と歴代のJR九州の社長もそう言っている。
■ 2万キロ#3章
車両一両だけでなく列車まるまる改造して再利用している臨時的な企画列車もある。ジョイフルトレインともいわれており、とくにJR九州ではD&S列車と称している。
Dとはデザインであり、Sとはストーリーである。
車両は新造されることはなく、ほぼ改造車両である。
宮脇氏が乗線した指宿枕崎線にもキハを改造した指宿のたまて箱号(愛称:いぶたま)が運行している。
■ 2万キロ#3章
宮脇氏は2万キロ乗線時の20年前に指宿枕崎線に乗線している。
その当時は枕崎駅まで延伸されておらず、指宿駅の一つ先の山川駅までの営業であった。
今回はその未線区である指宿駅―枕崎駅間の乗線となる。
宮脇氏は西鹿児島駅を5:15に出てさらに指宿駅を6:33ごろ出る。
現在、同じ出発時間はないが乗車時間は、当時とさほど変わらないでいる。
【 指宿駅#現 】
■ 2万キロ#3章
宮脇氏は指宿駅を出発すると山川駅、西大山駅と順調に通過していく。西大山駅は宮脇氏乗線時も現在も、国鉄あるいはJR最南端駅であるが、さして感動もなく書かれてある。
6時59分の開聞で明るくなった。
と、2万キロでは書かれており、九州は年末であると7時前でやっと明るくなることを説明している。
暗いうち、この場合は明るくなる前に未線区に進入するのは避けたい宮脇氏には気になることなのかもしれない。
【 山川駅#現 】
【 西大山駅#現 】
■ 2万キロ#3章
開聞駅から枕崎駅までは、退屈な線区である。その退屈な線区が1時間弱つづく。
地図によっては海べりを走るようにみえるが縮尺上のトリックであって、実際は線路は海べりまでは寄らない。単線の線路に両サイドから木の枝が車両の窓ガラスをムチ打つようにしだれかかっている。
景色にも変化がない。現在もこんなかんじである。
■ 2万キロ#3章
宮脇氏乗線時もそんなものだと思うが、このあたりの地形の特異性と名勝のなさから
景観総体の水準は高い。
と、逆に高い評価をしている。
あわせて がら空きのローカル線 とも書いてある。
当時ですでにがら空きで、沿線人口が増えたと思えない区間がいまだに廃線とならないのは、少々不思議に思う。
■ 2万キロ#3章
宮脇氏は西鹿児島駅を出発した2時間半後の7:47に枕崎駅に到着する。現在もだいたいそれぐらいの乗車時間となる。
開通後2年ほどすぎた駅にしては、枕崎駅をひどく古びた駅と宮脇氏は感じている。
その理由は以前から営業していた私鉄の駅を借用していたからであったが、その後、なんどかの移設や建て替え、無人駅の時代も経て、駅舎復活となり、復活した駅舎はグッドデザイン賞を獲得するまでになった。
【 枕崎駅#現 】
■ 2万キロ#3章
JR九州で鉄道関連のデザインとなると、水戸岡鋭治センセイであるが、この駅舎は水戸岡センセイではない。
九州の鉄道デザインにニューカマーが登場したようだ。
それとは関係ないが駅舎の「枕崎駅」の揮毫は相撲の行司の36代木村庄之助氏である。同氏は地元出身。
【 指宿枕崎線の完乗 】
西鹿児島駅 | 5:15 | 発 |
指宿駅 | 6:33 | 発 |
山川駅 | ー | - |
西大山駅 | ー | ― |
開聞駅 | 6:59 | ― |
枕崎駅 | 7:47 | 着 |
* 西鹿児島駅―指宿駅間は乗線済
〓 指宿枕崎線完乗@7:47枕崎駅到着にて。
指宿枕崎線:現役
【読み:いぶすきまくらざきせん】
起点:鹿児島中央駅
終点:枕崎駅
駅数:36
##宮脇氏、次の未線区乗線のため移動。枕崎駅から伊集院駅へ向かう
【 未線区への移動 】
枕崎駅 | 8:48 | 発 |
加世田駅 | 9:28 | ― |
伊集院駅 | 10:29 | 着 |
伊集院駅 | 10:51 | ― |
川内駅 | ― | 着 |
■ 2万キロ#3章
指宿枕崎線の次は宮之城線の乗線となる。現在、指宿枕崎線は盲腸線であり、指宿駅は行き止まり駅である。
となると、また来た線区を戻るわけだが、当時はここから私鉄である鹿児島交通の路線が営業しており、同路線は宮脇氏の次の線区の乗線に都合良くもある。
とはいっても出発まで1時間あるので、ここではめずらしく観光をしている。
【 枕崎駅#現 】
■ 2万キロ#3章
枕崎駅を8:48に出て、加世田駅に向かう。現在は廃線であるが、当時は鹿児島交通枕崎線といっており、鹿児島交通が運行していた。
鹿児島交通は現在も存在する会社である。 加世田駅は廃線にともない廃駅となり、現在はバスセンターとなっている。
バスセンターに併設する形で鉄道記念館が置かれている。
さらに宮脇氏は加世田から伊集院駅まで鉄道で向かい、伊集院駅には10:29に到着する。現在、この区間は路線バスが営業しており枕崎駅前から伊集院駅前まで1時間45分前後で行く。鉄道もバスもあまりかわらないようだ。
【 加世田駅跡#現 】
■ 2万キロ#3章
伊集院駅まで難なく到着するも、列車のトラブルで次の乗線区の駅にすすめず、宮脇氏はここで足止めを食う。
しかし、自分の行動で計画がくるったわけではないのであきらめもはやく、あわせてタイミングよく列車もあらわれたので次の乗線区のスタート駅である川内駅に向かう。
##宮脇氏、伊集院駅から川内駅へ。川内駅到着後、宮之城線乗線のため薩摩大口駅へ。
【 宮之城線 】
S:川内駅
G:薩摩大口駅
■ 2万キロ#3章
川内駅到着後、時間が多少あったようで宮脇氏は町中を歩きまわっている。宮之城線は宮脇氏の未乗線区のなかでも最長路線であり、2万キロでは
未乗線区の横綱
と、表現している。 出発時間となり出発する。2つ目の駅である楠元駅を出たところで、宮脇氏は眠くなりはじめる。
当日は朝5時には起きて乗線をはじめている。あわせて前の晩というかその日の夜中には早くも目が覚めている。
50歳という年齢もあると思うが、横綱相手に40分ほど居眠りしてしまう。
【 川内駅#現 】
■ 2万キロ#3章
ほぼ半分近くは眠ったままでの宮之城線の乗線であったが、宮脇氏ごひいきのスイッチバック駅である薩摩永野駅が近づくころには目が覚めている。
しかし同駅のスイッチバックはさほど感動がなかったのか、それについては何も書かれておらず、終点駅の薩摩大口駅にあっさり到着する。
【 薩摩永野駅跡#現 】
【 薩摩大口駅跡#現 】
【 宮之城線の完乗 】
川内駅 | 13:05 | 発 |
楠元駅 | ー | ― |
宮之城駅 | 13:45 | ― |
薩摩永野駅 | ― | ― |
薩摩大口駅 | 15:12 | 着 |
〓 宮之城線完乗@15:12薩摩大口駅到着にて。
宮之城線:廃線
【読み:みやのしろせん】
起点:川内駅
終点:薩摩大口駅
駅数:20
##宮脇氏、次の未線区乗線のため薩摩大口駅から水俣駅へ向かう。
とりあえずここまで。宮脇氏を追う 2万キロ#3章 ②/4
以下次号
リサーチに協力していただい方々に感謝いたします。
一方、リサーチに協力していただけなかった方、次回ご協力にお願いいたします。
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【注意】
地図はグーグル・ヤフーより加工
価格・数量などは初回公開当時のもの
画像は下手上手関係なくローカライズド(LCD)
なお、取材日当日でないものもアリ
現地に赴く場合は、公式情報を確認されてから行くように
初回リリース:20201114
ここで紹介したことはすでに過去の情報となっていることを申し伝えておきます。
マチとの遭遇 九州編
#オールラウンド九州(ARQ)
製作:ローカライズド(LCD)
■ メンバー
#1 風戸ケイキ(リサーチ)
#2 ワリアイト・リョウ(リサーチ)
#3 タシロ(プレス)
旅とカットソーシリーズ 2020
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