完乗
交通機関が営業する全ての路線に乗車・搭乗する完全乗車の略語。路線図・地図の塗り潰しになぞらえて乗り潰しともいう。 ウイキペディアより。
宮脇俊三
鉄道マニア界の偉大なるレジェンド(故人)。紀行作家であり、時刻表の愛読者である。
本人は鉄道マニアではないとのこと。当webマガジンは宮脇氏の代表的著作である時刻表2万キロから九州内の足取りを追った記録および解説である。
宮脇氏を追う
九州編
リリース:2020年
1975年(S50)ごろに日本国内の鉄道を乗りつぶしたおじさんの記録を2020年(R2)ごろの現在に追ってみた記録。ただし九州内のみ。
乗りつぶしたおじさん
宮脇俊三
追いかけた人
ローカライズド(LCD)
宮脇俊三氏について ウィキペディア
完乗。「かんじょう」と読む。意味は交通機関のすべての路線に完全乗車することで、乗りつぶしとも言われている。宮脇氏は当時の国鉄全線の完乗を目指していた。その乗車体験を本にしたのが「時刻表2万キロ」である。ただし、同書は国鉄全線の体験ではなく、乗りつぶした路線が残り10%になってからの体験となっている。
そのうちの宮脇氏の九州内の足取りを、九州を中心に活動するローカライズド(LCD)が追った。
完乗する目的は?完乗する意味は?などは、宮脇氏の著作「時刻表2万キロ」で確認されたし。
当webマガジンでもチラッとは紹介する。
時刻表2万キロでの「完乗」は、鉄道路線区の起点から終点まで(その反対もアリ)を乗り終えること。宮脇氏の著作:時刻表2万キロから察するに、そういった意味のようである。
その際、起点から終点まで同日に一気にではなく、数日に分かれて乗車して完乗ともなり、線区の途中駅から乗り、一旦起点(あるいは終点)まで向かい、同駅から折り返して終点(あるいは起点)まで向かっても完乗となる。 起点から乗車し終点で律儀に下車しなくてもよく、通過でも完乗とみなされる。
【 時刻表2万キロ(角川文庫)】©honto
■ 宮脇@2万キロ#前説
国鉄全線完乗は、宮脇氏が初めてでも宮脇氏だけでもない。宮脇氏がしたことは、自身の国鉄全線完乗体験を本にしたことであり、その体験記「時刻表2万キロ」はデビュー作である。
なお、時刻表2万キロの出版後に最長片道切符の旅を出版している。
■ 宮脇@2万キロ#前説
1979年(S54)発行の時刻表名探偵(日本交通公社刊)という本がある。
書いた人は石野哲氏。石野氏は同書の奥付から日本交通公社(現在はJTB)にお勤めしていることがわかる。しかも時刻表編集部に所属している。
■ 宮脇@2万キロ#前説
石野氏の同書は宮脇氏の時刻表2万キロとちがって乗車体験の書ではなく、鉄道オタク本であり、なかでも駅に特化している。
「時刻表名探偵」というからには乗車体験を主としてほしいところでもあるが、「駅名のフシギ」という章タイトルにもあるように、駅トリビア的な本となっている。
■ 宮脇@2万キロ#前説
現在であればマニアが自身のwebサイトなどで情報提供するていどの内容と思われるが、インターネットのない1980年前後では、本という形でリリースされたようだ。
同書がトータルどれだけ販売されたかはわからないが、奥付によると昭和54年5月8日で17版発行となっていることから、「売れ」はしたようだ。 定価は850円、2020年の現在でもamazonなどで販売されている。
amazonの書評によると、鉄道マニア入門書としては最適な書とされている。ちなみに同書によって著者の石野氏はマンションを建てたともある。
これについて確認のしようはないが、「売れはした」ていどのささやかな売れ行きではないようだ。
■ 宮脇@2万キロ#前説
その石野氏も国鉄全線完乗達成者である。国鉄だけでなく、私鉄もである。
時刻表名探偵の著者紹介で 46年3月31日国私鉄全線走破達成 とある。46年とは昭和46年であり、1971年である。
石野氏は昭和24年2月生まれであるから22歳前後で達成したことになる。
■ 宮脇@2万キロ#前説
国私鉄全線完乗した翌日にJTBへ入社と奥付では書かれており、事実そうだろうが多少ストーリー付けされた感もある。
そうである石野氏に国鉄全線完乗は、石野氏の前に石野氏ナシ、石野氏の後に石野氏ナシというわけでもなく、後にも先にも達成者はいる。
時刻表名探偵には、国鉄全線走破達成人として、達成者本人の名前と達成時期が紹介されている。
宮脇氏はそのなかでは27番目の達成者であり、掲載時点では50歳5か月で最長老と紹介されている。
■ 宮脇@2万キロ#前説
宮脇氏がなぜ、国鉄全線完乗を目指したのか?その理由を探るのは難しい。
時刻表2万キロやそれ以外の宮脇氏の著作を読んでも、我々ローカライズド(LCD)メンバーの読みが足りないのか、不明である。
鉄道好きだから
だけではすまされない理由があると思われる。
そこに鉄道があるから
東大卒であり、出版社の取締役であるインテリの宮脇氏にそういった理由は軽すぎる。
■ 宮脇@2万キロ#前説
時刻表2万キロの文中からその理由を探っていけはする。
たいていまえがきに執筆の理由などが書いてあるものだが、同書にはまえがきがない。いきなり第1章からはじまる。
第1章の出だしは
鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる。
である。この書き出しには少々意表をつかれた気はするものの同書を読み進めていくと宮脇氏は旅行好きでもなさそうにもみえる。
たしかに完乗中、観光をさほどしない。 完乗そのものが旅行のようなものであるが、有名温泉地の駅まで来たので、ついでに湯に入るということはしない。
■ 宮脇@2万キロ#前説
それでも時刻表を眺めていると汽車に乗りたくなる質らしく、そのため「時刻表に乗る」ための旅行に出ていた。
宮脇氏の旅行は目的ではなく、手段であるようにもみえる。 「汽車」というところが戦前生まれの宮脇氏らしい。
ちなみに関門トンネルを通過したいがために太平洋戦争のさなかの1944年(S19)3月下旬に九州に旅行している。宮脇氏、17歳ぐらいの頃である。
■ 宮脇@2万キロ#前説
宮脇氏は当時からコツコツと国鉄に乗車していた。宮脇氏の鉄道への乗車初体験は、7歳の頃である。
このときは母親に内緒でコッソリと乗ったようである。
7歳からとは相当な筋金入りの鉄道乗りのようだが、なにごともコッソリと行動する性格もこの頃からであったようだ。
■ 宮脇@2万キロ#前説
9歳前後で時刻表を親に買ってもらい、その後の時刻表の愛読者人生がはじまったと考えられる。
コツコツと国鉄に乗りはじめていると、30歳のなか頃で、国鉄全線の半分に乗っていることに気付いた。当時、宮脇氏は出版社勤務のサラリーマンであり、部長職にも就いており、仕事は仕事で面白い時期でもあったようだ。
ところで宮脇氏は東大卒業後、いったんは出版社に就職するも病気療養で休職したり、結婚したり、実父が亡くなるなど、休職した会社を退職して、建築家を目指したりするなど、30歳前になっても自分探しをされていたようである。
なお、結婚した女性とはその後、離婚している。
■ 宮脇@2万キロ#前説
国鉄の半分の路線に乗ったところで、乗りやすい路線ばかりに乗っていることにも気づいた。
乗り継ぎやスケジュール調整が必要になるローカル線には乗っておらず、以後ローカル線にも乗るようになった。
1971年(S46)の9月には、国鉄の15,000キロに乗り、全線の73%に乗ったことにもなった。
この頃にはローカル線に目覚め、 ローカル線は乗ってみるとおもしろい と2万キロでは書いている。この頃、宮脇氏は再婚し女のコ2人授かっている。
■ 宮脇@2万キロ#前説
1971年(S46)からは月に1回は鉄道旅行に出かけるようになり、完乗のペースが早まったようだ。
1975年(S50)の正月休みで18,000キロを超え、完乗まで残り10%となったところで、全線完乗を目指そうと心に決める。 2万キロの第1章にはその経緯が書かれてある。
あわせて、宮脇氏の自筆年表には 1975年(昭和50年)
仕事はマンネリとなり、情熱が薄れてきた。鉄道旅行に気持が移る。
とある。2万キロという全線完乗がみえてきたところに仕事に飽きもきたので、完乗を目指した感もある。これについては本人でないとわからない。
■ 宮脇@2万キロ#前説
宮脇氏には宮脇氏なりの完乗のルールがあったが、石野氏にも石野氏なりの完乗のルールがあったようだ。
石野氏のルール、自身の名前にかけて全線走破哲則としたルールは以下のとおりである(鉄則を哲則にしただけであるが)。
1. 昼間(景色の見える時間)乗ること
2. 完全各駅停車であること(臨時乗降場も含めた各停列車に乗る)
3. 両窓の景色を見ること(居眠りはダメ)
どちらが公式ルールかということはないが、宮脇氏、石野氏ともほぼ似ている。
■ 宮脇@2万キロ#前説
2万キロ内の宮脇氏の行動を見るかぎり、宮脇氏はゆるいルールで完乗しているといえる。石野氏ルールはちょっとキビしい。
宮脇氏は列車の遅れや自身の失敗などで夕刻遅い時間の乗車もあったり、特急や急行はたびたび利用していたり、居眠りは自己申告でされていたりしている。
完乗は自身がレフリーである、そのルールも自身がルールであるので、どうということはない。
■ 宮脇@2万キロ#前説
宮脇氏の完乗計画は極秘行動にしていたわけでないが、いつしか徐々に周囲に知られるようになってきた。
そうするとなにがなんでも達成しないといけないという義務感のようになり、後にはひけなくなったようだ。
しかし、人から依頼されたわけでなく、達成したからといって賞金がもらえるわけでもない。国鉄から感謝状などがもらえるわけでもない。
なんのために完乗を果たすのかは、いまだもって不明である。
■ 宮脇@2万キロ#前説
2万キロの第1章に各路線を乗りつぶした証拠などはとってあるのかときかれるシーンがある。
宮脇氏は乗線中のメモはマメに記録しているが、証拠は残していなかったようだ。
宮脇氏は国鉄の完乗にワイド周遊券を利用しており、そのため乗車のたびに切符などを手に入れる必要はなく、「乗った」という証拠も示しにくい。
「自分自身のためですから」
証拠はないことに対して、いぶかしがる相手に「自分自身のため」と宮脇氏は答えている。
この返事は証拠がないことに対しての理由だろうが、完乗する目的の理由のようにもみえる。
■ 宮脇@2万キロ#前説
時刻表を見るのが好きな少年が大人になり、見るからには汽車にも乗るのが好きになり、旅行するようになると、欲が深くなって全線完乗しようという気分になったようだ。
コレクターにも似ている。もとより完乗を目指す気はさらさらなかったが、全線完乗まで残り10%となったところでチャレンジ意欲に火が付いた。
それだけのことである。自宅には白地図を用意して乗線した区間を塗りつぶしていた。
■ 宮脇@2万キロ#前説
宮脇氏はすでに故人となっているが、生存中の宮脇氏をYouTubeでみることができる。 アップロードされたテレビ番組では、タレント:車だん吉氏にともなわれて、時刻表2万キロにも登場した北海道の宗谷本線などに乗っている。
番組の放映時期から推測すると、60歳前半の宮脇氏と思われる。番組では白いハットをかぶっており、このハットをかぶって鉄道に乗りまくっていたと思わせる。
■ 宮脇@2万キロ#前説
宮脇氏の画像はわりあいと流出しており、どういった外見の男性かは確認できる。
番組内の動画では、やや伏し目がちにボソボソと話すが、鉄道の話となるとよくしゃべる人であることがわかる。
猫背ではないが、やや首が前に出ている感じである。番組では車氏には「センセイ」と呼ばれている。
黒縁の眼鏡に太い眉毛は印象的である。さらに同番組では宮脇氏の入浴シーンもある。あの年齢にしては黒々として若さを感じる。黒々としているのは宮脇氏の頭髪である。
■ 宮脇@2万キロ#前説
2万キロに掲載されている地図にはなんとなく味がある。あたりまえだが、グーグルマップなどは張り付いておらず、アナログな地図が掲載されている。
2万キロにはまえがきはないがあとがきはある。
そのあとがきに本の定価を下げるために地図は宮脇氏自身が書いたとある。読者思いの作家のようだ。
本の地図は老眼に差し掛かっている年齢の者には見えにくいが、電子版の地図は大きくてはっきりしていてすこぶる見えやすい。コピーアンドペーストしたいくらいだ。
■ 宮脇@2万キロ#前説
以上、宮脇氏の人物紹介と彼自身の著作について簡単に解説した。次号より時刻表2万キロで宮脇氏が乗った九州内の移動を現在に追った記録として次号よりお送りする。
お送りするのは九州を中心に活動するローカライズド(LCD)のメンバー。なお、メンバーはさほど鉄道にくわしくはない。
本号はここまで
続きは以下次号にて。
宮脇氏を追う 2万キロ@九州#イントロダクション
リサーチに協力していただい方々に感謝いたします。
一方、リサーチに協力していただけなかった方、次回ご協力にお願いいたします。
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【注意】
地図はグーグル・ヤフーより加工
価格・数量などは初回公開当時のもの
画像は下手上手関係なくローカライズド(LCD)
なお、取材日当日でないものもアリ
現地に赴く場合は、公式情報を確認されてから行くように
初回リリース:20200912
ここで紹介したことはすでに過去の情報となっていることを申し伝えておきます。
マチとの遭遇 九州編
#オールラウンド九州(ARQ)
製作:ローカライズド(LCD)
■ メンバー
#1 風戸ケイキ(リサーチ)
#2 ワリアイト・リョウ(リサーチ)
#3 タシロ(プレス)
旅とカットソーシリーズ 2020
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