市長の報酬 世知原茶 山暖簾 ネイビー アジアネコ 実質公債比率 借入金残高 政府登録国際観光都市 ハウステンボス 【マチとの遭遇#佐世保編 その9】
佐世保/させぼ
20150401現在
【 矢印のあたりが佐世保 】©グーグル
■ 月105万8,000円 # 市長の報酬
町のトップは年収1,000万円クラスです。一般職員との格差は約3.3倍、トップとヒラの差はこの程度になります。
トップの報酬はトップ自身で決めたいところですが、2004年4月に改定されて以来ずっと同額です。トップが交代しても人口が減っても面積が増えても、ハウステンボスが破綻しようが再生しようがトップの報酬はここ10年間一定です。
高いのか安いのかは判断つきませんが、デフレ経済下にあって一定というのは、実質上昇しているという見方もできます。ちなみに一般職員の一人当たり給料は以下のとおりです(*1)。
31万3,833円
こちらは一定というわけではありませんが、長期的には下がっています。市町村合併もあり職員数は増えていますが、総額人件費は上げまいと努力しています。
*1 佐世保市:平成25年度決算状況
■ 県内2位 # 県内での地場産品「日本茶」の生産量
日本の西の端であることがアドバンテージとなることもあります。それは中国への近さです。お茶は中国から禅僧栄西によってもたらされたとされており、日本の西端である当地に、お茶の播種になんらかのアドバンテージがあったと考えられます。
かなり昔のことであるため「たぶんこうだろう」的な推測で語られています。当地のお茶を運営する団体のホームページでも「栄西の播種が起源かどうか記されていませんが」と正直に紹介されています。
そんな正直な土地の人たちによって、栽培されるお茶が世知原茶(読み:せちばるちゃ)です。同地も2005年4月に旧佐世保市に編入された町の一つです。当地にお茶が伝わったのは栄西の時代鎌倉時代ですが、お茶の栽培に本腰を入れたのは戦後からでした。
戦前、戦後間もないころまでは産炭地でしたが、その後のエネルギー革命によって閉山となります。
当時の町長は、石炭にかわる地元の新たなビジネスとして、みかんかお茶の二者択一をせまります。炭鉱の閉山前から中山間地域の同地では、細々お茶の栽培をしていたこともあり、お茶に重点を置くことになりました。国の補助事業を活用して山を造成し茶畑とし栽培をはじめます。
【 茶どころ 世知原 】
平地の多い海沿いにある茶畑は栽培効率もよく収量もあがりますが、土質がイマイチです。一方、世知原町は急峻な山間の土地です。あたり一面に広がる茶畑はのぞめず、そう大量にも栽培はできません。
山間地のため日中の寒暖さが大きくなり、高品質のお茶の栽培に有利にはたらきます。おのずと量よりも質を求めることになり、地元生産者もお茶の栽培にはもちろんのこと、有機質の肥料を使い土づくりにも手間ヒマかけるようになります。
品質はお茶の差別化につながります。地元生産者の有限会社前田製茶の社長前田秀樹氏は、お茶は嗜好品のためその評価は人によって違うものの、と前置きして世知原茶と他産地のお茶の違いは「香り」といいます。もちろん、ウチのがよくてよそのが悪いというわけでないとも。あくまでも「違う」だけのことです。
長崎県では、お茶の生産規模が大きい町は東彼杵町(ひがしそのぎ町)です。同町のブランドはそのぎ茶です。佐世保市は2番手で全国的に茶どころではない長崎県での2番手では、それほどブランド力のあるお茶とはいいにくい面はありますが地元では根強い人気があります。それは価格にあらわれています。お茶の単価1キロあたりの平均単価の比較です。
平均的お茶 2,000円 世知原茶 3,500円
生産量が多くないために平均単価も上がる事情もありますが、販路先を無理に広げず、地元中心の販売でしっかりリピーターをつかんでいます。世知原には、栽培者自身の運営による工場は9工場ありますが、そのうち2工場のみがJAに卸しており、他7工場は自前の販路を持っています。JAを通さない流通は価格競争力の維持につながります。現在、6次産業化がさかんにアピールされていますが、当地では1970年代からはじめていました。
1960年代までは産炭地だった当地の炭坑事務所は炭坑資料館に、その石炭輸送線だった国鉄世知原線は、とうの昔に廃線となり現在はサイクリングロードになっています。当地は、過疎地域自立促進特別措置法による過疎地域に指定されたいわゆる「過疎地」ですが、
建築家:黒川紀章氏
のプロデュースによる公共の宿「山暖簾」があり、週末は予約がとれにくい人気の宿となっています。中山間地の過疎地だけに、静けさを求めるには最適な宿です。
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