■ 工業団地 2-1
2015年7月に久留米・広川新産業団地に福岡県内の企業が工場を建設すると発表があり、久留米の工場用の空き地は埋まりつつあります。
同工業団地は九州自動車道の広川インターチェンジの近くでもあり物流の便は良い場所です。
ただ、同工業団地は高速道路を挟んで向かい側には、となり町の工業団地:広川中核工業団地もあり、久留米市としてはウカウカできません。
工業団地の造成は自治体財政を圧迫するリスクがあるのですが、両市町は強気に挑みます。造ってしまったものは仕方ないのですが。
久留米/くるめ
20160101現在
■ 工業団地 2-2
久留米・広川新産業団地は、団地名にあるように久留米市と同市とは他行政区になる広川町にまたがる工業団地となっています。
同団地の管理は一般社団法人久留米市開発公社であり、久留米市には久留米市商工労働部企業誘致推進課があり、同課も企業誘致に取り組んでおり、少々ややこしい体制になっています。
2015年8月時点で同団地は一区画空きがあるのですが、久留米市側は仕事を終えたといわんばかりに同課ホームページでは「久留米市域の分譲は終了しました」と案内されています。
【 広川新産業団地の信号 】
■ ゴム 15
アサヒコーポレーションとブリヂストンの工場は、別会社であるものの隣接していることもあって、同じ敷地内で稼働しているようにもみえます。
両工場とも工場に通じる道路から工場社屋をみることができます。ブリヂストンの工場社屋の前には、創業者の胸像が据えられています。
両工場は新旧の対比でもありますが、かたや会社更生法による更生計画の遂行中の企業、もう一方は製品シェアで世界一となった企業の対比にもみえます。
両工場は筑後川の河川敷からも見ることができます。河川敷側は工場の裏となり、その無骨感は近代建築を感じることができます。
アサヒコーポレーションの本社社屋は、十分減価償却は済み、コスト面では貢献していると思えますが耐震基準の点で心配になります。
【 アサヒコーポレーション工場 】
■ 農業 7
農業となるとなにかと「減」が目立ちます。久留米の農業もそうです。以下は2005年(左)と2011年(右)のデータです(*1)。
農業経営体 6,087経営体 → 3,965経営体
農業就業人口 11,444人 → 7,633人
たしかに減っていますが、1経営体当たりの経営耕地面積は1.35haから1.98haと大規模化され、全農業経営体に占める販売金額1,000万円以上の農業経営体も12.5%から15.5%と変化がみられます。
大規模化は所得向上の近道であり、国の農業政策の方針でもあり、だだっ広い平野である地の利をいかした農業に取り組んでいるといえます。
*1 久留米市:くるめの農業2013
■ 久留米リサーチ・パーク 1
役員には久留米市長、福岡県副知事が就き、資本金のそれぞれ30%を久留米市と福岡県が出資している会社が久留米にあります。
同社は株式会社久留米リサーチ・パーク(KRP)、地元の産業振興をミッションに、中小企業、ベンチャー企業を支援する会社です。
第3セクター方式の株式会社ですので役員に市長が就いていることは驚くことはありませんが、同社の資本金の60%は行政機関の出資によるものです。
福岡県では、バイオテクノロジーの一大集積拠点の形成を目指す福岡バイオバレープロジェクトが2001年より始まります。
県の方針でバイオ関係の産業を創出する目論見だったことから、施設などのハードもバイオ系志向になり、バイオ系の企業が同施設に入居し、このあたり一帯にバイオクラスターが形成される、予定でした。
つくられたハード(施設)
- 1989年4月 久留米リサーチセンタービル
- 2004年4月 福岡バイオインキュベーションセンター(F-BIC)
- 2007年4月 福岡バイオファクトリー(F-BF)
年月はオープン時
【 久留米リサーチパーク 】
■ 美しくてもみにくいアート
美術品は人を呼びます。久留米には市立美術館はなくても"私立”な美術館があります。
同美術館には教科書クラスのアーティストでは、洋画家、青木繁と坂本繁二郎などの作品が所蔵、展示されています。ともに地元生まれ のアーティストです。
"私立”な美術館といっても、現在は、公益財団法人が管理し、久留米市民を含めた多くの市民に開放されています。
その私立な美術館は2016年10月には市立美術館となります。
私立から市立へ
現在、その私立な美術館は石橋美術館といい、1956年4月に地元出身のブリヂストン創業者の石橋正二郎氏が建物を寄贈し開館した美術館です。
成功したビジネスマンの正しいふるまいといえます。建物を寄贈するだけでなく、その後の建物の老朽化にともなうメンテナンスにも5億円の寄付をします。
開館当初は、同美術館の管理は任意団体の久留米文化振興会(その後、財団法人となり、2011年4月公益財団法人となる)でしたが、1977年に寄贈者である石橋正二郎氏の財団法人石橋財団に移管されます。
寄贈者の石橋正二郎氏はその前年の1976年9月に亡くなります。
1977年に石橋財団に移管されて、その後は同財団による管理が続きましたが、2016年10月をもって終了することになりました。
表向きの理由は、一般財団から公益財団法人へと移行したために、美術品を久留米にとどめ置いて鑑賞機会を地元民だけとせず、全国の人へ与えないといけないというものです。
石橋美術館(久留米市)に収蔵する美術品960点は石橋財団が運営するブリヂストン美術館(東京都中央区)へ移管されることになります。
同財団が所有するのは芸術作品だけではなく、ブリヂストンの株などもあり、同財団の同社株式からの2014年の受取配当金は61億円とされています。(*1)
一見、経済とは関係ないアートの流出は、直接の町の経済力の消失につながりませんが、町の文化的競争力が損なわれた感があります。
町は地元選出の国会議員であり、財団創立者一族の親類縁者でもある鳩山邦夫氏に協力を要請します。
石橋財団は石橋美術館が所蔵する美術品をすべて引き上げるようなことはせず、960点のうち約200点、市に寄贈するとし、作品の調査研究に必要な図書1万冊、作品購入にあてる基金として3億円程度寄附するとしています。(*2)
市民はそれを大事にしたか?
美術館のとなりには総合文化施設として石橋文化センターがあり、施設名からわかるように同氏の寄贈による施設です。
地元の名士による多大なる貢献ですが、地元の人がそれを大切にしたかとなると話は違ってきます。時間の経過ともに寄贈されたことを忘れ、当然のものという意識になったのではないでしょうか。
公立美術館は、運営を第三者に委託するなど任せることもあっても美術品は地元が保有する場合が多いものです。しかしこの件は、運営も保有も地元に根ざした私立な美術館でした。
そういったことよりも地元民の姿勢が問題だったのではないでしょうか。
*1 日経新聞20140701 *2 日経新聞20140906
【 石橋文化センター 】
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