マチとの遭遇 九州編

@久留米 

久留米 その5

2018年11月23日 16:58 by kieki-kazeto

■ 2015年7月のある金曜日の夕方 五十番にて 4

 黒光りした鉄の鍋に餃子がのせられたままやって くる。小皿に醤油をさす。焼いた鍋はそのまま皿となり、その鉄の鍋は約直径10センチ、その平たい部分に餃子が盛られる。

 餃子をひっくり返すと、焦げ目側が顔を出す。その焦げ目が食欲をそそる。

 片側しか焼かないのがこちらの餃子の特徴。にんにく醤油とそうでない醤油がある。いきなり口に入れてはやけどするので箸で半分に割って冷ます。あわててはいけない。

 餃子の大きさは一口程度。テイクアウト、イートイン双方あり、客の回転もはやい。モクモクと餃子が焼かれ、モクモクと餃子を食す。店内はBGMなどはなく、静寂のなか餃子を食す。

 この静寂は、餃子の味に集中するためそうしてあるようにも思える。

【 このシリーズはマチとの遭遇九州編#久留米のなかで続く。なお、毎号続くとはかぎらない。】

【 久留米のあるヤキトリ店 】

マチとの遭遇 九州編 

久留米/くるめ

20160101現在

制作:ローカライズド(LCD)

 

■ B級グルメの聖地久留米 5

 ヤキトリだから鶏肉とするのは、地元久留米では間違った常識になります。

 たいていヤキトリのネタは鶏肉ですが、当地では肉オールラウンドです。ヤキトリの定番メニューに鳥皮があるように、地元の焼きとり屋では豚足が当たり前のようにメニューにあります。

 豚足はヤキトリか?と疑問になりますが、コラーゲンたっぷりの豚足にありつくことができます。 「とりあえずバラ3本」 久留米のヤキトリ屋では、当たり前のようにされるオーダーです。

 バラとは豚バラ肉のことです。その豚バラ肉を一口大の食べやすいサイズにし、竹串にさして焼きます。

 久留米ではヤキトリ屋であっても、竹串にさされた豚肉をヤキトリとして食すことができます。

 地元オリジナルな特徴はバラだけではありません。ダルム(部位は腸)、ハツ(心臓)、センポコ(大動脈)、ハチノス(牛の第2胃)などあります。

 はじめて食す人にはグロいことと感じるかもしれませんが、当地では普通に出されるメニューです。

【 久留米のあるヤキトリ店 】

  【 久留米のあるヤキトリ店 】

■ 久留米で働く人

 事業所数は40年前に戻ってしまったものの、久留米で働いている人の数は、なんとかおしとどまっています(*1)。

 2001年のピーク時よりは減少しており、この間、市町村合併があったのですが「増」とはならなかったようです。下記の数字は久留米市の従業者数です。

  • 1972年 114,711人
  • 1981年 123,911人
  • 1991年 136,967人
  • 2001年 140,840人
  • 2012年 123,721人

  事業所数と同じように合併前の年の分は、合併前の旧市町村分を単純に合計した事業所数とは数字の変化の大きさはちがいますが、それでも1981年と2012年で変わらないほどです。

*1 福岡県:福岡データウェーブ 

■ 聖マリア病院

 ジャズピアニスト小曽根真氏も聖マリア病院に慰問でやってきます。きっかけは親族の入院でした。

 地元では聖マリア病院(社会医療法人 雪の聖母会 聖マリア病院)にかかることは、ステイタスの高いこととされています。

 開設は戦後間もない昭和28年、町の病院としてはじまります。現在、一般病床数は931床、ドクターヘリ離発着用のヘリポートを持ち、敷地面積7万6,123㎡、医師を含めた職員数は2,120名の大病院となりました。

 2014年度の総収益は271.6億円、売上高が100億円を超える民間企業が多くない久留米では、"売上規模の大きい事業体”の一つといえます。

 拡張につぐ拡張のために、国道のバイパスをまたぐ病棟間は道路の上の連絡通路が渡るほどです。

 聖マリア病院に隣接するように看護人材養成の聖マリア学院大学が置かれ、病院周辺はひとつのメディカルタウンが形成されています。

 病院は病院で、1日あたり外来患者は967.4人、おなじく救急車の搬入は24.5件と忙しい病院でもあります(*1)。なお、小曽根氏の慰問は、親族が亡くなれた後も続けられています。

*1 聖マリア病院ホームページ:病院概要

【 聖マリア病院 】

■ 人口増となる

 なんとかこらえていたところ編入後はじめて、2012年に市全体として総人口が前年より「増」となりました(*1)。

 「増」となった理由は、手厚い子育て支援策が功を奏したということもありますが、前年3月の九州新幹線が営業を開始し、久留米駅にも停車することも影響したといえます。

 「増」の理由は外国人をカウントしたためという事情もあります。住民基本台帳の改正により2012年7月以降は外国人住民を含んだ数字となりました。

 総人口ベースでは、2012年は前年より2,218人増えましたが、日本人は312人の「減」です。いままでカウントしていなかった外国人分をカウントしたため総人口「増」となりました。

  総人口  総人口増減  日本人分増減  外国人分増減
2011年 303,252 -183 -183
2012年 305,470 2,218 -312
2013年 305,933 463 167 296
2014年 306,240 307 180 127

*単位は人

*1 久留米市:住民基本台帳

■ 将来は減

 このところでは「増」となりましたが、将来はやはり「減」となります。

 RESASによる推計では、2060年の久留米市の人口は以下のようになると予測されています。 

  • 187,603人:全国の移動率が今後一定に縮小するとした場合
  • 222,061人:合計特殊出生率が人口置換水準まで上昇場合のシミュレーション
  • 255,659人:合計特殊出生率が人口置換水準まで上昇し、かつ人口移動が均衡した場 合のシミュレーション

 ちなみに基準としたのは2010年の人口:302,402人でした。

 その50年後には最大11万人ほど、最小4万人強ほど減るとされています。いずれにしてもウカウカできません。

*1 住民基本台帳

■ 合併前 人口

 現在の久留米市は、2005年2月に近隣4町を編入してできた町です。編入した町は以下の町です。なお、数字は編入前の2005年1月1日のものです(*1)。 

 久留米市
(くるめし)
 23万9,612人  一貫して人口増
 田主丸町
(たぬしまるまち) 
 2万1,003人  2005年は戦前とかわらず
 北野町
(きたのまち)
  1万7,349人  減となるも増に転ずる
 城島町
(じょうじままち)
 1万3,675人  2005年は戦前とかわらず
 三潴町
(みずままち)
 1万5,712人  一貫して人口増

 この旧1市4町のなかでもっとも都会といえるのは、旧久留米市でいまもかわりません。

 1920年(大正9年)から編入前の2005年(平成17年)の85年間に、現在の久留米市 換算では

16万55人 → 30万7,351人

 14万人ほど人口が増加し、その増加率は192%、約2倍です。

 この間、一貫して人口増となった町は旧久留米市と旧三潴町です。旧北野町は、1950年から人口減となるものの1970年代から「増」に転じます。

 旧田主丸町は1947年、旧城島町は1955年をピークに減っていき、2005年は戦前とかわらないほどの人口となりました。

*1 福岡県:推計人口

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